非ストア的感覚の実感と気晴らし、それと曖昧さ
ダウナードラッグであたまグラグラフラフラ。
洗濯物を干しながら音楽を聴く。
久しぶりにピアノを弾く。
ベッドで仰向けになって目をつぶって音楽を聴く。
お風呂上がりの熱の余韻とアルコールが自分の身体領域を拡張していくかのような、または肉体が流れ出すような感覚を共に感じて、浮遊する。
浮いて感じる熱、
悦に入りつつカラダの表面に集まる熱。
腹部にかかる温度と質量。
感覚を集中して感じる快楽。
終わ
日本語の表現だと、心=容器、感情=水、なんですか?
心って水っぽい、とかよく思ってたけど一度もそれについて調べてこなかったので少し調べてみる。まずいくつか思いついたものを上げてみる
e.g.) 澄んだ心、やる気があふれる、怒りがこみ上げる、悲しみに溺れる、喜びを湛える、迸るパトス、元気が漲る、元気の源、心のオアシス、精神を涵養する、明鏡止水、
broken heart、魚心あれば水心…は少しずれてるかも
ほんの少し検索してみるだけでかなり都合のいい記事が見つかった。なんで毎回この疑問を思いつくたびにちゃんと調べてこなかったんだろう
感情のメタファーの日英差をもたらす要因についての考察 | CiNii Research
まずこの論文の日英差の比較の部分は置いといて、ここの書いてあることによると、心は体や容器、感情は水とか火、植物なんかに例えられるらしい。てか感情と心って別モノなんだってことにへーっと
心=容器っていうのは心のオアシスとかひょっとしたらbroken heartが例の中だとそれに当たるかも?あと論文中だと心を開く、胸にしまっておくとかもあるらしい
感情=水は、例として考えてみたうちのほとんどの、やる気があふれる、怒りがこみ上げるとかにあたりそう。心のオアシスっていうのも上記の、心の容器メタファーからすると「心を満たせる場所」っていうのがオアシスメタファーで埋められてて良い感じだと思う。
でも精神を涵養するとかいうのは、感情=植物っていう例がしっくりくる気がする。
明鏡止水はどうなんだって思ったので明鏡止水の意味を調べてみた。
【明鏡止水】〔荘子徳充符〕くもりのない鏡と波立たない静かな水の意。心にやましい点がなく,澄みきっていること。「―の心境」
この説明の心っていうのを「容器」として置き換えてみるとちょっとおかしいことになるから、今度は「心」と「感情」の違いについて考えたいなと思ったり思ったりしなかったり
火とかっていうのは感情が大きくなるときには体温も上がりそうなもんだしまぁわかるなぁって感じだけど、心と感情=容器と水ってことにしちゃって考えると自分の心身の運営をしてる経験と照らし合わせると、これは何となくしっくりくる。不思議としっくりする。
カタカナの「ヒト」、漢字の「人」、あと「人間」
ヒト、人、人間って何が違うんだろう、に関するメモ
ヒト:生物学的な表記。霊長目ヒト科の哺乳類。直立して二足歩行し,動物中最も脳が発達する。言語をもち,手を巧みに使うことによってすぐれた文化を生み出した。現生種は一種で,学名はホモ-サピエンス。
人:自分以外の者。他人。(人一倍、他人事、人任せ、人知れず、人恋しい)
(機械・動植物・木石などにはない,一定の感情・理性・人格を有する)ひと。人類。
人間:(機械・動植物・木石などにはない,一定の感情・理性・人格を有する)ひと。人類。
(ある個人の)品位・人柄。人物。「なかなかの―だ」「あの人は―ができている」
とか何となく調べているとなるほどな~という記述がみつかりまして
私の場合ですが、
「ヒト」は生物としてのヒト、ホモサピエンスのことを表します。
たしか理科の授業で、生物の名前はカタカナで書くように教わったので。
「人」は、上記のヒトにそれなりの知性や道徳心を持たせたもので、一番多く使います。
(「それは人としてどうなんだ」など)
「人間」は上記の人に社会性をもたせた、社会生活を送る集団としての人として使います。
(「普通、人間ってさぁ~」など)
引用:「ヒト」と「人」と「人間」、どう使い分けていますか? - Quora
つまりこれによると
ヒト+知性=人
人+社会性=人間
ということか。。。?
私は社会的に過ごしてないから漢字の「人」かな、いやもしかしたらカタカナのヒトかも…
飼い猫とか犬が家事使用人みたいなボジションにいると考えると、かれら社会性と多少の知能もあるから猫間とか犬間とか呼んでもいいんじゃないかな。
何となくの2023年
(元旦に書いたメモ)
寝巻きの上からさらに着込んで外に出た。
何となく日の出を見たくて。
いや単に初日の出が見たくて。
コンビニすらないド田舎の町のくせに見晴らしのいい広場には観客が10人ほど集まっていた。
やはり太陽信仰というのは年一で人をミーハーにさせるくらいには日本人に染み付いているのだろうか。
私の横のババアは日が昇るとあらぁ〜立派ねぇ!すごいわぁ〜とかキャーキャー騒いでいて気味がわるかった。私はそのババア売女を横目に、何となくぼんやりとキャップのツバ越しに陽を眺めた。
そのあと何となく1時間ほど散歩をした。
「何となく」とはどういった感情なんだろう。
「何となくアイツ嫌いなんだよねー」とか「いや、何となく、言ってみただけ」とかあと、なんとなくクリスタルとか。
理由や動機がない訳では無いがそれが言うほどのものでは無いという感じだろうか。いやむしろそれらの存在感を意図的に隠したい時に使う言葉かもしれない。
結論だけ伝えた後にwhyを返されて話が長引くのが嫌な時に使うカードかもしれない。
自分の行動や言動の理由を尋ねられた時それを隠さんとして使われるのかもしれない。
だから何となく「何となく」という言葉を使う状況ってあんまりなくて、「何となく」という言葉には必ず何らかの意図が含まれて使用されるということなのかもしれない。もしそうなら「何となく」は欺瞞っぽい言葉だ。
ただ使う人がが自信の行動についての理由や動機を鼻からさらさら気にしていなかったり把握していない場合の「何となく」には悪意は無いかも。でもその場合生活というゲームに取り組む姿勢が不真面目だという点で「何となく」を口にする者は良くない選手なのかもしれない。
まぁ人の行動に理由を求めるのが正しいかどうかは置いといて。
そういえば「知らんけど」は悪名高いワードとして有名だけど何となく「何となく」に似てる気がする。
もっとも「知らんけど」の場合は語感にもイラつき要素が含まれてるかもしない。例えば会話の語尾に「いや、自分もよく分からないんですけどね」って言われるならそこまでイラッとする感じは無い気がする、いや知らんけど笑
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なんとなく 【何と無く】(副)(スーパー大辞林より)
①はっきりした理由や目的もないさま。わけもなく。どことなく。「―好きだ」「―旅に出る」
②取り立てて言う事柄がないさま。何ということもなく。平凡に。「―一生を送ってしまった人」