日本語の表現だと、心=容器、感情=水、なんですか?
心って水っぽい、とかよく思ってたけど一度もそれについて調べてこなかったので少し調べてみる。まずいくつか思いついたものを上げてみる
e.g.) 澄んだ心、やる気があふれる、怒りがこみ上げる、悲しみに溺れる、喜びを湛える、迸るパトス、元気が漲る、元気の源、心のオアシス、精神を涵養する、明鏡止水、
broken heart、魚心あれば水心…は少しずれてるかも
ほんの少し検索してみるだけでかなり都合のいい記事が見つかった。なんで毎回この疑問を思いつくたびにちゃんと調べてこなかったんだろう
感情のメタファーの日英差をもたらす要因についての考察 | CiNii Research
まずこの論文の日英差の比較の部分は置いといて、ここの書いてあることによると、心は体や容器、感情は水とか火、植物なんかに例えられるらしい。てか感情と心って別モノなんだってことにへーっと
心=容器っていうのは心のオアシスとかひょっとしたらbroken heartが例の中だとそれに当たるかも?あと論文中だと心を開く、胸にしまっておくとかもあるらしい
感情=水は、例として考えてみたうちのほとんどの、やる気があふれる、怒りがこみ上げるとかにあたりそう。心のオアシスっていうのも上記の、心の容器メタファーからすると「心を満たせる場所」っていうのがオアシスメタファーで埋められてて良い感じだと思う。
でも精神を涵養するとかいうのは、感情=植物っていう例がしっくりくる気がする。
明鏡止水はどうなんだって思ったので明鏡止水の意味を調べてみた。
【明鏡止水】〔荘子徳充符〕くもりのない鏡と波立たない静かな水の意。心にやましい点がなく,澄みきっていること。「―の心境」
この説明の心っていうのを「容器」として置き換えてみるとちょっとおかしいことになるから、今度は「心」と「感情」の違いについて考えたいなと思ったり思ったりしなかったり
火とかっていうのは感情が大きくなるときには体温も上がりそうなもんだしまぁわかるなぁって感じだけど、心と感情=容器と水ってことにしちゃって考えると自分の心身の運営をしてる経験と照らし合わせると、これは何となくしっくりくる。不思議としっくりする。